江戸時代、幕末の日本で坂本龍馬を護衛した凄腕の槍術使い「三吉慎蔵」とは【前編】 (1/2ページ)
土佐脱藩浪士として有名な坂本龍馬には政敵が多かった。そんな中、龍馬の信頼を得て命を救う活躍を見せた男がいた。長府藩士「三吉慎蔵(みよししんぞう)」。
今回は、一流の槍術使いであり、龍馬の護衛役を努めた男の活躍を振り返る。
出生から長府藩士まで1831年。長府藩(現在の山口県長府に存在した藩。長州藩の支藩)の剣術師範であった小坂土佐九郎の次男として生まれる。実名は「時治」。
1849年。長州藩の学校である明倫館に入学し宝蔵院流槍術に出会う。1855年には長州藩師範・小幡源右衛門より免許皆伝を受けている。「慎蔵」という名はこの時送られたものであると考えられている。1857年、長府藩士「三吉十蔵」の養子となり「三吉慎蔵」となった。
1857年には長府藩藩主「毛利元周(もうりもとちか)」に随従して江戸へ。洋学を導入し、海防の知識に明るかった江川太郎左衛門から西洋の砲術を学んだとされる。
1863年に下関で起こった長州藩と列強四国の武力衝突事件をきっかけに、国防を目的として結成された精鋭隊の監督職を任されている。
坂本龍馬との出会い1866年。土佐藩脱藩浪士となっていた「坂本龍馬」と出会う。