親近感と愛着で溢れる地蔵菩薩が慈悲と救いの仏と言われる理由 (1/3ページ)

心に残る家族葬

親近感と愛着で溢れる地蔵菩薩が慈悲と救いの仏と言われる理由

仏教が奉じる仏・神々の中で人気が高いのは、地蔵菩薩、観音菩薩、不動明王、阿弥陀如来といったところだろうか。その中でも1、2を争うのは地蔵菩薩と観音菩薩だろう。どちらも慈悲の仏であり民衆に親しまれてきた。今回は地蔵菩薩に焦点を当てる。

■おとぎ話にも登場し、街中のあちこちで見かける地蔵菩薩

地蔵菩薩は「お地蔵さま」「お地蔵さん」として古くから民衆の間で大変親しまれている。錫杖を持ち、子供にも見える柔和な表情が印象的だ。 地蔵は各地の沿道のあちこちに鎮座していて旅人の疲れを癒やしてくれる。「笠じぞう」などのおとぎ話も地蔵への親しみが元になっているのだろう。

■菩薩とは仏教においてどんな存在か

仏教では如来、菩薩、明王、天部(神々)という序列がある。如来は悟りを開いた完全なる存在。いわゆる「仏」とは本来は如来を指し、悟りを開いたブッダが「釈迦如来」と言われている。菩薩は如来になるために修行している如来候補生である。釈迦滅後の56億7千万年後にこの世に救いに現れるという弥勒菩薩はその日のために天界のひとつ兜率天(とそつてん)で修行を積んでいるとされる。我々人間より遥かに高い次元とはいえ、依然修行中の身なのである。弥勒は未来仏だが、菩薩とは基本的には悟りを開けない未熟者ではなく、いつでも悟れるのにあえて衆生の近くで手を差し伸べたいと菩薩のままでいるという。完全に悟った如来は我々には遠い存在だが、菩薩とは親しくできる。観音さまやお地蔵さまが菩薩なのは当然である。

■六道輪廻と地蔵の関係

仏教では「六道輪廻」を説くが、地蔵は六道を輪廻するすべての魂を救うとされる。六道とは地獄、畜生、餓鬼、修羅、人間、天上の六つの道で、この世のすべての魂は死後もこの道を延々と生まれ変わらなければならない。それぞれの道は各々が生前積んだ業によって決まる。力に走る者は修羅、強欲な者は餓鬼という具合である。では天上はどうなのかというと善人ではあるが、「善」に執着する魂ということだろう。行き過ぎた善は中途半端な悪より始末が悪いことがある。そのような天人は寿命を終えるとき、地獄の数千倍の苦痛が襲いかかるとされている。

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