幕末の京都を食べ歩き!麒麟児と称された剣の使い手「伊庭八郎」が愛したグルメたち (1/3ページ)
美味しいものを食べたい、と思うことはありませんか?どの時代のどんな地域でも、共通する願いだと思います。幕末の京都には、全国から人が集まって来ていました。
新選組も討幕の志士たちも、命のやり取りをしていただけではありません。それぞれ日常の中で、思い思いの食に親しんだはずです。
幕臣・伊庭八郎は、在京時代に記した日記(『征西日記』)に、食べ歩きの足跡を残しています。彼や当時の人々がどんなグルメに舌鼓を打っていたのか、見ていきましょう。
伊庭の麒麟児、京グルメとの出会い伊庭八郎秀穎(いば はちろうひでさと)は、天保15(1844)年に江戸で生まれました。生家は剣術・心形刀流の宗家です。八郎も「麒麟児」と称された使い手でした。
文久4(1864)年、八郎は奥詰隊(将軍の親衛隊)に編入されて、将軍・徳川家茂の上洛に随行することになります。
日記は同年における八郎の行動を詳細に伝えます。この前年に新選組が結成され、同年に池田屋事件と禁門の変が勃発することになります。