独自の支配体制を保ち源頼朝や織田信長も恐れた僧兵集団 「比叡山 延暦寺」の武力【前編】 (1/2ページ)
平安時代末期の武家政権誕生によって、日本では武士中心の時代が幕を開けた。その中で、武士や貴族の支配に抗い独立した権威と武力を持った存在が「延暦寺(えんりゃくじ)」だ。
今回は、時の権力者に屈服せず、独自の支配体制を保ってきた寺院・延暦寺の武力についてご紹介する。
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織田信長の残虐性を表す逸話「比叡山焼き討ち」実はそんなに酷い被害を被ったわけではなかった? 延暦寺の起源延暦寺は京都府と滋賀県に跨がる「比叡山(ひえいざん)」全体を境内とする寺院である。開祖は平安時代初期の僧侶「最澄(さいちょう)」。
15歳で出家した最澄は、郷里の近江に近い比叡山で修行し、788年に「一乗止観院(いちじょうしかんいん)」を創建。その後、唐に渡り「天台山」で天台教学を学び、日本天台宗の基礎を作った。
806年。天台宗は開宗が許可される。