軟禁され罪人として崩御。天狗となって朝廷を呪った「崇徳天皇」の恨み【中編】 (1/2ページ)

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軟禁され罪人として崩御。天狗となって朝廷を呪った「崇徳天皇」の恨み【中編】

日本三代怨霊に数えられる「崇徳天皇(すとく)」は、歴代の天皇の中でも不運な生涯を送り、恨みを抱えこの世を去ったという。

怨霊となった崇徳天皇(Wikipediaより)

今回は【前編】に続き、崇徳天皇の生涯をご紹介する。

前回の記事

軟禁され罪人として崩御。天狗となって朝廷を呪った「崇徳天皇」の恨み【前編】

傀儡としての崇徳上皇

政治の実権を鳥羽法皇に奪われた崇徳上皇だったが、表向きの関係性にわかりやすい対立がなかったともいわれている。

崇徳上皇には、女房として身近に仕えた兵衛佐局(ひょうえのすけのつぼね)との間に第一皇子である重仁親王があり、天皇即位の権利を有していた。このことが崇徳上皇にとって希望となっていたのかもしれない。

1155年。近衛天皇が17歳で崩御する。

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