哀川翔「一世風靡」時代は年間120本のライブ (1/2ページ)
テリー 一世風靡って、すごく硬派というか、規律が正しいイメージがありますよね。
哀川 いや、規律が正しいというより、稽古ばっかりでしたね。ド素人なのに毎週路上でパフォーマンスを見せると公言しちゃったから、とりあえず練習するしかないだろうと。仕事を持ってるヤツも多かったから、金曜日の夜から日曜日の朝にかけて、もう稽古ばっかりで。結局、それが5年間ぐらいかな、続きましたね。
テリー その時はライターは?
哀川 もうやってないです。
テリー そうなんだ。でも、驚いたな、初めて知りましたよ。もともとは作る側の人だったんですね。
哀川 そうなんですよね。
テリー で、「前略、道の上より」が大ヒットするじゃないですか。もう人生がガラッと変わりますよね。テレビなんかもたくさん出て。その時はどう思ってたんですか。
哀川 いや、右も左もわからなかったですからね。ただ自分たちのつくったものを発表する以外、他はあまりやってなかったですから。だから、テレビに出るのも「夜のヒットスタジオ」だけとかね、普段はライブ一辺倒で。だいたい夏に60本、冬に60本で、年間120本ぐらいやってたんですよ。
テリー 全国で?
哀川 そうです。だから、レコーディングして、その曲をテレビで発表して、ライブをやってという1年間がずっと続いたんです。
テリー モテたでしょう。
哀川 いや、うちらはあんまり交流なかったですからね。業界内の交流もほとんどなかったし。
テリー ウソですよ。もし僕が一世風靡だったら、女の子をとっかえひっかえ遊んでますよ。