「オフィーリア」と「甘粕正彦」にみる残酷な死から表現される美しさ (1/3ページ)

心に残る家族葬

「オフィーリア」と「甘粕正彦」にみる残酷な死から表現される美しさ

死は恐ろしい。死は忌避され、「穢れ」ともされてきた。その一方で残酷な死に様が描かれた文学や芸術作品に美しさを見出すことがある。死に美しさを感じるとはどういうことか。

■「オフィーリア」を描いたジョン=エヴァレット=ミレイ

ジョン=エヴァレット=ミレイ(1829〜96)は19世紀イギリスの代表的な画家のひとりである。かなり大胆に作風が変わる人で、時代共にまるでコンセプトが違う。美術展で肖像画が何枚も並んでいたりすると大抵は飽きてくるものである。歴史的著名人ならまだしもモデルのほとんどはパトロンの貴族とその家族だったりするので、余程の筆致でなければ足を止めることは難しい。しかしミレイは時代で様相が異なるため平坦になりやすい肖像画にも新鮮な印象を受ける。そのミレイが描いた魅惑の「死と美」が「オフィーリア」である。

■「オフィーリア」の死と美

ミレイの代表作といえる絵画が「オフィーリア」である。シェイクスピア(1564〜1616)の「ハムレット」をモチーフに描いたもので、ミレイ中期の作品である。宰相の娘・オフィーリアは愛する王子・ハムレットに拒否され、そのハムレットに父を殺されるなど、度重なる悲劇に見舞われ狂気に陥った。そして小川で溺死してしまう悲劇的な最期を遂げる。その時の様子は直接の描写はされず、王妃によって語られた。この作品は彼女が川に溺れてしまう前に、歌を口ずさんでいる姿を描いているとされている。シェイクスピアは王妃にオフィーリアの死を叙情的に語らせている。

「すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいたという、死の迫るのも知らぬげに、水に生い水になずんだ生物さながら。
ああ、それもつかの間、ふくらんだすそはたちまち水を吸い、美しい歌声をもぎとるように、あの憐れな牲えを、川底の泥のなかにひきずりこんでしまって。それきり、あとには何も。」

ミレイが描いたのはまさにこの情景である。オフィーリアの虚ろな表情と、彼女を囲む情景は色彩豊かで恐れを抱くほどに美しい。描かれている植物にも意味があり、ケシの花言葉は「死と眠り」を暗示している。

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