藤岡弘、 自身の事故がきっかけで「今では何十人ものライダーが誕生」 (1/2ページ)
テリー 仮面ライダーの人気がどんどん上がっていくのを、どう感じてたんですか。
藤岡 実は私が第1話を見たのは、病院のベッドの上だったんですよ。
テリー そうか、バイク事故で。
藤岡 ええ。10話目の撮影中にコーナーを曲がりきれなくて激突。数十メートルふっ飛んで。大腿骨を複雑骨折する重傷で、再起不能といわれるような状態だったんですね。
テリー あぁ、そんなにヒドかったんですか。
藤岡 通常の手術では一生不自由になると言われました。それでベトナム戦争時に開発された手術があるから試してみるかと提案されて、治る保証はないんですけど、それしか方法がなかったものですから私もOKしました。今も脚に針金が入ってるんですけど。
テリー うわぁ。
藤岡 だから、忘れもしない第1回が放送された1971年4月3日の私は打ちひしがれた状態で、涙が止まらなかったですね。
テリー 元気な自分が写ってるんですもんね。
藤岡 それも、これから治るかどうかわからないという状況ですから。それで、何としても治したいという気持ちがより強くなって、そこから私の戦いが始まったんです。
テリー でも主役がいなくなっちゃったんですから制作サイドは大変ですよね。
藤岡 もう番組が成立するかどうかという大問題ですよね。だから私を早いこと殺して他の人間に代えるか、私を待つかという‥‥。ただ、その時に1人のプロデューサーの方が、ほんとに御恩のある方なんですが、私の再起を待つべきだということを提案してくれて。