原田大二郎 過酷な撮影だった「Gメン’75」を降板した理由は? (1/2ページ)
テリー それまでの原田さんのイメージっていうと、やっぱり「Gメン’75」の関屋みたいな。
原田 初期メンバーだし、僕を知ってくれた人がいちばん多い作品ですから。ただ僕、23話で降りてるんですよ、神経衰弱で。ノイローゼになっちゃった。
テリー あれ、そうでしたっけ。なんで?
原田 まず、千葉(真一)さんの「キイハンター」からずっとプロデューサーをしていた近藤(照男)さんという方が僕を何かで見て、「こいつを使いたい」って、局の反対を押し切って、起用してくれたのね。で、最初の撮影が滑走路を歩くシーンだったんですよ。
テリー あ、あの有名なオープニングの。あれ、どこなんですか。
原田 普通の民間の土地ですよ。今は家がたくさん建ってるけど、当時はまだ1軒もなくて、空き地の中に道路があってね。
テリー えっ、あれ飛行場じゃないの?
原田 違うんです。で、朝行ったら、小道具の人たちが1枚1枚ベニヤ板を敷いて「75」の文字を作っててね。だから、あれ、全部ベニヤ板なんです。
テリー そうなんだ、全然わからないね。
原田 うん。僕も朝から「すごいなぁ」なんてね。ところが、あの現場は初日からとにかく一日中走るわけですよ。で、2日目には(股の付け根を指して)ここに関節痛が来て。だいたい関節痛って(太ももの下のほうを指して)来るのは膝のあたりですよ。それがここに来て、どうしようもないのに、それでも走るわけ。
テリー まぁ、当時のドラマはね。
原田 そしたら20本目の撮影が終わったあたりで疲れのピークが来たのかな。