日本史上で有名な男色・衆道の例をご紹介!有名人から意外な人物まで (1/3ページ)

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日本史上で有名な男色・衆道の例をご紹介!有名人から意外な人物まで

日本には、古くから男色(男性同士の性愛)の文化があったといわれています。

仏教の伝来とともに僧侶や公家たちのあいだで広まり、室町時代や戦国時代には武士たちのあいだで盛んになりました。そして、江戸時代には町人文化にも表れるようになったといいます。

江戸時代以前の男色は決して「快楽のため」だけではない?恒例の儀式や同志の契りを交わす意味も大きかった

【BLの歴史は古い】日本における男性同士の性愛「男色・衆道」の歴史を振り返る

そこで今回は、日本の歴史の中で、男色関係があったといわれている有名な人物についてご紹介したいと思います!

自分の日記にも記述を残した藤原頼長

他人に厳しく、能力・行動が型破りなことから「悪左府」という異名で有名な藤原頼通。彼は自分の日記『台記』に、自身が男色で感じた快感や少年たちへの想いが赤裸々につづられています。

彼には妻がおり、女性がいない環境ではありませんでしたが、貴族など7人の成人男性と愛人関係にあったと伝えられています。そのうちの一人、源成雅については、頼長の父、藤原忠実とも関係があったといわれています。

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