三國連太郎の元不貞相手・太地喜和子が誌面で再会/「アサヒ芸能65年」に刻まれた「美女の激言」(終) (1/2ページ)

アサ芸プラス

三國連太郎の元不貞相手・太地喜和子が誌面で再会/「アサヒ芸能65年」に刻まれた「美女の激言」(終)

 誰もが知る有名美女の、誰も知らない「本気の叫び」が聞きたい─。創刊以来変わらぬ「週刊アサヒ芸能」の編集方針の骨子である。65年の歴史には目もくらむ美女たちが現れ、読者を鼓舞した。その姿形だけでなく、思わず漏れる本音にも味わいがあった。そんな名言の数々を大公開!男と女の誰も踏み入れることのできない機微を感じさせる発言をこんなふうに聞き出している。

 かつてブームになった“テレフォン性行為”。斯界の「女王」と呼ばれた清水節子は、今年8月19日に亡くなった千葉真一と、最後まで親しくしていた。

「8月初旬は、息苦しそうだったけど、まだ会話はできたの。ポツリと『コロナが落ち着いたらハワイに行こうね』って言ったのよ」

 千葉はワクチンを拒否したままコロナに敗れた。

 三東ルシアは、かつてモト冬樹とつきあっていたことを明かした。

「モトさんが25歳で私が18歳。ただ、つきあってからの私生活ではおもしろい人ではない。テレビで『オレはすごいぞォ』って口説くとネタにされていますが、正直、あっちのほうも大したことはなかったな(笑)」

 あっぱれである。同じく児島美ゆきも03年、かつて高倉健と恋仲だったことを衝撃の告白。

「私、人生で健さんにかかわったってことは、自慢なんです。外で会うことはほとんどできませんから、室内でのデートが多かったですね。お互いに『剛ちゃん』『ミッキー』と呼び合っていました」

 ただ、世間の反応は冷ややかだった。

 78年に日本中を驚かせた田宮二郎の猟銃自死から38年後、未亡人の藤由紀子が本誌で長い沈黙を破った。

「ある日、胸ぐらを掴んで階段から突き飛ばされそうだった時は、このままでは殺されてしまうと…」

 それが自死へ走る精神状態だった。さらに田宮の死後、未亡人は「借金」や「不貞」の問題にも動く。

「田宮の金銭のことだけでなく、倫理に外れた女性の問題に関しても、いろんな方のお力を借り、きっちりと後始末をしました」

 その田宮と大映の「悪名」シリーズで組んだ勝新太郎は、中村玉緒からとことん愛された。

「90年のハワイ逮捕でも、いっぺんも離婚なんて考えたことおまへん。

「三國連太郎の元不貞相手・太地喜和子が誌面で再会/「アサヒ芸能65年」に刻まれた「美女の激言」(終)」のページです。デイリーニュースオンラインは、清水節子ジェームス三木太地喜和子斉藤由貴三國連太郎エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る