MLB満場一致でMVP!大谷翔平、高校時代からの「ここがすごい」マル秘素顔 (2/2ページ)

日刊大衆

でも、実際に生で投球を見たら、たった1球で“モノが違う”と体感できた。あの体格からは想像できない柔らかさ。自分の意図した通りに体をコントロールする能力。どちらも図抜けていたんです」(前同)

■二刀流が生まれたワケ

 その後、高校2年時に投球に欠かせない股関節の骨端線を損傷して、投手としての評価は下降線に。

 だが、結果的には、このケガの功名が“二刀流”の契機ともなっていく。

「投げられない時期を打撃練習に費やしていたら、今度は、そっちが怪物級になった。この頃はスカウト陣の評価も、もっぱら打者としてのものでした。それが高3夏の県大会の準決勝で、160キロを記録したことで一変しました」(同)

 当の大谷自身も、この時期と前後して「投手として」から、「求められるところで」と徐々に変遷。“世界”を現実的に意識した発言が増えていったという。

「彼は学校の授業では日本史、とりわけ幕末維新の時期が好きだと話してました。高卒後すぐのMLB志望も、日本のNPBがけっして嫌なわけではなく、それが前例のない挑戦だったから。いわば、彼の持つ開拓者精神がそうさせたんでしょう。もし、あそこで日本ハム球団が“二刀流”という新しい価値観を提示していなかったら、今の彼は、おそらくなかったんじゃないかなと」(同)

 これについては、前出の福島氏も、こう話す。

「もし日本ハムでの実績がなければ、MLBのどの球団も、彼の“二刀流”を認めることはなかったでしょう。その点でも、日本ハム球団が提示した新たな選択肢が、彼の未来を切り拓ひらいたと言ってもいい」

 その日本ハムでも、大谷は高卒新人らしからぬ大器の片鱗を見せつける。

 この続きは現在発売中の『週刊大衆』12月13日号で。これを読めば、大谷選手がもっと好きになるはず!

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