「三代目マムシ」の毒は死してなお回り続ける!?戦国大名・斎藤龍興の生涯 (3/3ページ)
彼は畿内へ向かうと、反織田方である三好三人衆と手を組んで抗戦を続けます。さらに石山本願寺を味方につけて反織田方にするなど、信長の天下布武にさまざまな方法で反撃しました。
そして、越前の朝倉義景のもとに出向くと、そこで客将として迎えられて小田川との戦いにも参戦することになります。
しかし織田方の勢いを抑えることはできず、1573年の刀根坂の戦いにおいて26歳の若さで討ち死にしました。
斎藤道三から受け継がれた「マムシ」の執念は、ここで潰えました。しかしその後も石山本願寺と信長との争いは続き、龍興の残した「毒」は死してなお威力を発揮し続けたのです。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan