武士なのに鎧の着付を間違えた?源頼朝の御家人・佐々木高綱のエピソード (1/3ページ)

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武士なのに鎧の着付を間違えた?源頼朝の御家人・佐々木高綱のエピソード

和服の着付けにお作法があるように、鎧兜にも装着の手順があり、かつては武士たちの基本教養とされていました。

鎧に隠れて見えない部分なら、多少ルーズであってもとりあえずごまかせます(ただし身体に密着せず、動きにくく防御にも隙ができてしまいます)。

武士たるもの、鎧はしっかり着こなしたいもの

しかし表から見える部分だと、武士としての資質を疑われてしまうでしょう。

今回は源平合戦で活躍した佐々木高綱(ささき たかつな)のエピソードを紹介。果たして彼は、どんな鎧の着方をしていたのでしょうか?

先に着けるはずの脇楯を鎧の上に……

佐々木高綱は永暦元年(1160年)、近江源氏の豪族であった佐々木秀義(ひでよし)の四男として誕生しました。

治承4年(1180年)、源頼朝(みなもとの よりとも)公が平氏政権を討つべく兵を挙げるとこれに参加。

一番駆けを果たした高綱。

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