【鎌倉殿の13人】独りじゃないよ!流人時代から頼朝に仕え、気にかけた者たち【後編】 (3/6ページ)
請所(うけしょ)とは、朝廷に対して「収穫高にかかわらず年貢の額を保証(必ず貢納)しますので、この土地の支配権を下さい」と請け合った土地のこと。
自由な裁量が認められたため、やりくり次第では利潤を上げられる反面、凶作の時(たとえ収穫ゼロ)でも必ず定額の年貢を納めなければなりません。
そんなハイリスク・ハイリターンな所領経営を乗り越えて頼朝に莫大な仕送りを続けたのですから、比企尼(と掃部允)はよほどのやり手だったようです。
しかし、流人の家来って……なかなか微妙な立場ですよね。しかも(所領の無い)頼朝からもらう給料、その原資はほとんど姑からの仕送り……切なくなってしまいますね。
頼朝も「あれがおったか」じゃありませんよ。もう少し丁寧に扱いなさいったら。
相模から伊豆まで遠距離通勤の佐々木四兄弟以上3名が住み込みで仕えていたほか、相模国高座郡渋谷荘(現:神奈川県大和市)からは、かの佐々木四兄弟が通いで仕えていました。さすがに毎日ではないでしょうが、伊豆と相模を往復するとは結構な遠距離通勤ですね。