無念の最期…戦国時代、無双の学者とまで呼ばれた悲劇の天才知将・太田道灌 (1/3ページ)
知られざる「名将」太田道灌
戦国時代初期の名将「太田道灌(おおた・どうかん)」は、あまり知名度が高くありません。
関東に住んでいる人は名前を1度は聞いたことがあり、銅像などから知っている人は多いかも知れません。しかし。西日本ではあまりその名を聞くことはないでしょう。
その生涯を調べてみると、武将として数々の武勲を立て、歴史になお残すにふさわしい「名将」だったことが分かります。
今回はその太田道灌の、知る人ぞ知る人生について追ってみます。
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山吹の花から和歌に目覚めた戦国武将・太田道灌のエピソード彼が生まれたのは永享4年(1432年)。才人と呼ばれるに相応しく、子供の頃からその才覚を表していました。
文武両道で「東国無双の案者(知恵者)」と呼ばれていた父の太田資清(道真)の影響もあったのでしょう。幼少期、すでに鎌倉の建長寺や足利学校といった当代随一の学問の場で頭角を現しています。