日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【中編】 (1/5ページ)

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日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【中編】

日本人はもともと長い間“和服”を着て生活してきました。しかし今は“洋服”を着るのが普通であり、着物などの“和服”を着るのは特別な時でしょう。

日本人の着るものが、和服から洋服へと変遷していく黎明期を『引札見本帖』を参考にご紹介します。

前回の前編の記事はこちら

日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【前編】

鹿鳴館時代の収束による和服の復活

“鹿鳴館時代”と呼ばれた1883年(明治16年)より始まった鹿鳴館を中心にした外交政策は、“鹿鳴館外交”と呼ばれました。
1887(明治20年)年頃に4年間ほどで鹿鳴館時代も収束を迎えると、“洋装化”の熱も冷め男女ともに江戸時代のような和服が復活しました。

着物姿の娘達 新版引札見本帖.第3 国立国会図書館デジタルコレクションより

着物姿の娘達 新版引札見本帖.第3 国立国会図書館デジタルコレクションより

鹿鳴館時代に“洋服”を着た女性は、ごく一部の高級官僚婦人や超富裕層の今でいうセレブの人たちだったのです。

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