たった一日の執権職…鎌倉幕府最後の執権・北条貞将が見せた忠義の心意気 (1/5ページ)
鎌倉殿を補佐して政権の実務を執った、その名も執権。北条時政(ほうじょう ときまさ)・北条義時(よしとき)父子に始まり、その座は鎌倉時代を通じて子孫たちにも受け継がれて行きました。
しかし盛者必衰の理に洩れず鎌倉幕府もいつしか滅び、執権も末代を迎えるのですが、往々にして最後の執権として第14代・北条高時(たかとき)とイメージしがちです。
確かに高時が最期まで実権を握っていたものの、実際のところ執権の職は高時以降も3代約7年にわたり受け継がれていました。
今回はそんな本当に最後の執権・北条貞将(ほうじょう さだゆき)のエピソードを紹介したいと思います。
北条一族の若きエリート北条貞将は鎌倉時代末期の乾元元年(1302年)生まれと推定。金沢(かねさわ)流北条氏の流れをくむため金沢貞将と呼ばれることも。