教養ある名将なれど悪役扱い。武将・梶原景時の不遇な最期と後世の評価【鎌倉殿の13人】 (1/3ページ)

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教養ある名将なれど悪役扱い。武将・梶原景時の不遇な最期と後世の評価【鎌倉殿の13人】

源頼朝とは良好な関係

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で中村獅童が演じる梶原景時(かじわら・かげとき)

梶原景高(歌川貞秀『英雄百首』より)

彼は後世では悪役として語り継がれていますが、実際はどんな人だったのでしょうか?

彼は源頼朝に重用されたことで有名な人物です。しかし意外にも元々は平家方の武士でした。

石橋山の戦いで敗れた頼朝は、洞窟に身を隠していたところを景時に見つかります。自害を決めた頼朝に対して景時は、見逃す代わりに頼朝が国を治めるようになった時には借りを返すよう伝え、その洞窟を命がけで守ったという逸話が残っています。

さらに景時は和歌を好んだ教養人であることが知られており、武家百人一首に選出される腕前だったようです。頼朝は彼の教養の高さを気に入り、幕府の政治面においてとても重用されました。景時は「一の郎党」と呼ばれ、頼朝の筆頭の御家人となったのです。

源義経とは険悪な関係

このように、教養にあふれ、頼朝から重用されていた一方で、源義経とはたびたび対立しています。

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