「まだ、死んでねえよ!」三遊亭円楽『笑点』復活!落語家人生を左右した事件とは? (2/3ページ)
そこに理知的な青年の円楽さんは入って、腹黒キャラを確立させました」(前同)
かつて『笑点』の座布団配りを担当していた毒蝮三太夫氏は、こう語る。
「俺は立川談志と友達で、その談志は先代の円楽さんと仲がよかったので、いつも3人で遊んでたんです。楽太郎時代の円楽さんは談志のところにもよく来ていて。だから、師匠はもちろん、談志からも影響を受けていたんじゃないかな」
■円楽の落語家人生を左右した事件
円楽のシニカルな毒舌は、今も昔も『笑点』の肝だ。
「実際、円楽さん不在期間は視聴率が低下。スタッフは復帰を大歓迎です。7月17日の放送では、本人が“昇太、首を洗って待ってろよ!”とアピールする映像が流れました」(放送作家)
しかし、『笑点』出演は、円楽という落語家にとって一つの側面に過ぎない。
「知名度の高さは落語界随一でも、けっして落語家として表通りを歩んできたわけではないんです」(前同)
『笑点』に加入した翌年、落語家人生を左右する事件が勃発する。
「落語協会分裂騒動です。円楽さんは新団体・落語三遊協会に移籍しました」(同)
しかも、この新団体に大きな悲劇が襲う。
「旗揚げわずか1年で、大看板の円生さんが急死されたんです」(同)
これで三遊協会は解散の憂き目に遭う。
「解散後は落語協会に復帰する落語家も多い中、五代目の円楽さんは、大日本落語すみれ会(現・五代目円楽一門会/以下、円楽一門会)を設立し、独立独歩の活動を継続。当然のように円楽さんも、そこに追随しました」(同)
業界のパワーバランスもあり、東京の4つの定席寄席は、円楽一門会に門戸を閉ざした。