「まだ、死んでねえよ!」三遊亭円楽『笑点』復活!落語家人生を左右した事件とは? (1/3ページ)

日刊大衆

三遊亭円楽
三遊亭円楽

 今年1月に脳梗塞を患った六代目三遊亭円楽(72=以下、円楽)が8月、国立演芸場で高座に復帰する。これを祝し、その粋な人柄や、五代目師匠との感動の絆などを紹介しよう。

「まだ、死んでねえよ!」

 7月22日、久々の公の場で、健在をアピールした円楽。その入門から振り返ると、青山学院大学時代は落語研究会に属し、五代目三遊亭円楽(以下、五代目円楽)の付き人から弟子入り。師匠の師匠である“昭和の名人”三遊亭円生に「楽太郎」と命名された。

「高校卒業後は就職予定だったのに“一つぐらい大学受けようか”という気持ちで大学要項を見て、あいうえお順で最初の学校を受けたとか」(演芸ライター)

 その聡明さに驚くが、落語家志望でもなかった。

「学費のために始めたバイトが、五代目円楽の運転手だったそうです。“弟子にすりゃ、タダで使えると思ったんじゃない?”とは本人の弁(笑)」(前同)

 出世は早かった。江戸川大学教授で演芸評論家の西条昇氏は振り返る。

「1976年、26歳で二ツ目に昇進し、翌年に『笑点』(日本テレビ系)のレギュラー入り。五代目の弟弟子・三遊亭円窓さんが番組を降りる経緯もあり、まだ20代だった円楽さんが推薦されたんです」

 師匠が大喜利メンバーだったこともあり、円楽は視聴者にすぐになじんだ。

「当時の『笑点』は桂歌丸さんと三遊亭小円遊さんの“バケモノ!”“ハゲ!”という罵り合いが人気。

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