公開実験の後に24歳で服毒自殺…明治時代、特殊能力に翻弄された女性の悲しき人生 (1/3ページ)
「透視能力」が日本で初めてメディアに取りあげられたのは、明治後期頃。御船千鶴子という女性が透視能力に目覚め、透視能力ブームを巻き起こしました。
しかし日本中を盛り上げた透視能力ブームは、ある事件の結末とともに終焉を迎えます。
この事件に大きく関与した、御船千鶴子の人生について詳しくみていきましょう。
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御船千鶴子は、生まれつき難聴を患っていました。小さい頃はまだ、両耳で音を聞く事ができていましたが、成人するころには左耳からまったく音が聞こえなくなったそうです。
感受性が強かった千鶴子は難聴の影響もあってか、物事をネガティブに捉えるようになっていきます。
そんな千鶴子は、22歳の時に陸軍中佐だった河地可謙と結婚。
しかし、幸せな時期はそう長くは続きませんでした。
透視能力の顕現夫は結婚後わずか3週間で遠方の守備隊に転属となり、同居していた舅や姑からは疎まれる日々。