僧侶にとって修行する目的とは?修行によって何が得られるか? (1/3ページ)

心に残る家族葬

僧侶にとって修行する目的とは?修行によって何が得られるか?

僧侶といえば修行・荒行を連想する人は多いだろう。滝に打たれ、断食をし、途方も無い時間座禅を行う。そんなイメージがある。厳しい修行に耐え、心身共に浄化される。そのイメージが我々に、俗世に浸かったいわゆる「生臭坊主」に対して許すまじと憤慨させる。そもそもなぜ彼らは修行・荒行をするのか。

■天台宗の修行 千日回峰行

日本仏教で最も知られている荒行が天台宗比叡山の「千日回峰行」である。7年間にわたり1000日間山林を歩き、挫折したときは自害する覚悟を決め、首をくくるための紐と短剣を携える。しかし最も過酷なのは700日目から行われる「堂入り」である。9日間寝るどころか、臥せることさえ許されず、座して真言を休みなく唱える。もちろん断食断水である。その肉体は7日も過ぎると死臭が漂うという。成就かさもなくば死か。生死のギリギリのラインを突破した満願者は生き仏として称えられる。

■日蓮宗の修行 大荒行堂

日蓮宗の荒行もよく知られている。正中山法華経寺の「大荒行堂」では毎年11月から2月までの100日間、半年間修練を積む。読経三昧で喉が潰れ、荒むしろに正座し続ける足はあかぎれでひび割れ、雑菌が入りかかとが腫れる。こちらも死の危険すらあるという。

比叡山には他にも荒行があり、曹洞宗の総本山永平寺も厳格な戒律が知られている。いずれもその内容は凄まじい。我々のような凡人には及ばない境地であり、満行者には敬意を惜しまない、彼らはそれをもって何を得るのだろうか。

■修業によって加持祈祷の資格を得る

修行者の目的は「加持祈祷」を行う資格を得ることである。日蓮宗における荒行の目的は「修法師」になることだ。日蓮宗には密教系に劣らない祈祷の修法が伝えられている。祈祷を行うには「修法師」の資格が必要で、荒行はそのために必須の修行である。千日回峰行の満願者も法力が宿るとされる。回峰行を2度成就した酒井雄哉師(1926〜2019)も加持祈祷を得意としており、臨終の際にあってもその場の人たちに加持祈祷を施したという。逆に祈祷の類を一切しない浄土真宗に荒行は無い。

つまり修行と祈祷は切り離せない関係といえる。

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