無実の罪で滅ぼされた畠山重忠の末子・畠山重慶にも謀叛の疑い…その運命やいかに【鎌倉殿の13人】 (1/6ページ)
かつて「坂東武者・鎌倉武士の鑑」と謳われ、天下にその武勇と高潔さを慕われた畠山重忠(はたけやま しげただ)。
しかし武蔵国の利権を貪らんとする北条時政(ほうじょう ときまさ)と対立したため、謀殺されてしまったのでした。
「鎌倉殿の13人」畠山重忠・重保父子に迫る最期の刻。第35回放送「苦い盃」予習【前編】息子の畠山重保(しげやす)や畠山重秀(しげひで)らもことごとく討死してしまったものの、末子の畠山重慶(はたけやま ちょうけい)は出家していたため命を永らえます。
このまま仏道に邁進し、父や兄たちの菩提を弔う日々を重ねるかと思われましたが……。