新首相誕生!今さら聞けない日本とイギリスの関係を時系列でご紹介【後編】

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新首相誕生!今さら聞けない日本とイギリスの関係を時系列でご紹介【後編】

前回は、日本の江戸時代前半~中期ごろの日英関係をご紹介しました。日本の鎖国下においても、日英双方でお互いの国についての研究がなされるなど、関心があったことなどがわかりました。

新首相誕生!今さら聞けない日本とイギリスの関係を時系列でご紹介【前編】

この記事では、日本も国際社会も大きく状況が変わっていく、18世紀後半~19世紀以降の日英関係についてご紹介します。

久しぶりにイギリスが日本に来航

しばらく日本とイギリスで大きな出来事はありませんでしたが、18世紀後半ごろから動きが見られます。

1791年には、毛皮を積んだアルゴノート号が博多に来航。1796年にはプロビデンス号が蝦夷地で測量を行うなど、久しぶりにイギリスが日本にやってきます。

1808年、フェートン号事件が発生。イギリス軍艦が長崎に入港し、オランダ人へ乱暴します。

これをきっかけに、日本はイギリスへの警戒感を高めます。同時に、英語の研究も開始され、日本初の英和辞典も完成しました。

正式な国交関係の樹立

1858年、アメリカにならってイギリスも日本と修好通商条約を結び、ここで正式に両国の国交が樹立しました。その後、1861年には遣欧使節団がイギリスを含むヨーロッパに派遣されます。

明治維新後は、お雇い外国人としてイギリス人技術者も来日し、特に日本最初の鉄道建設に貢献しました。お雇い外国人として日本にやってきたのはイギリス人以外にもいましたが、当時「世界の工場」としての誇りを持っていたイギリス人は、特に使命感が強かったようです。

日英同盟と日露戦争

1902年には、ロンドンで日英同盟が調印されます。これは、ロシアのアジアにおける勢力拡大に供えるものでした。

1904年に日露戦争が始まりますが、イギリスは日本の戦争公債の引き受けなどを支援しました。しかし、日本の国際地位の向上に不満を覚えたアメリカの精力的な運動により、1921年のワシントン会議で日英同盟は解消されることになります。

日英同盟の解消のあと、日本とアメリカの関係悪化、日本の国際社会での孤立が深まるなどの流れにつながっていきます。

いかがでしたか?日本とイギリスの関係について、2回に分けてご紹介しました。この記事が、みなさんが少しでも歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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