鎌倉殿の候補から2度も流罪に…雅成親王の波瀾万丈な生涯【鎌倉殿の13人】 (1/3ページ)
子供を作らない源実朝(演:柿澤勇人)の養子候補として名前の挙がった、頼仁親王(よりひとしんのう)と雅成親王(まさなりしんのう)。
いずれも後鳥羽上皇(演:尾上松也)の大事な皇子。御家人たちを従えるには申し分ないですが、果たして鎌倉にはお越しいただけるのでしょうか。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」劇中では頼仁親王が推されていましたが、今回は雅成親王について、その生涯をたどってみたいと思います。
鎌倉殿候補から2度も流罪に雅成親王は正治2年(1200年)9月11日、後鳥羽上皇と藤原重子(じゅうし/しげこ)の間に誕生しました。順徳天皇(第84代、守成親王)は実の兄です。
建仁4年(1204年)に5歳で親王宣下(親王の位が与えられ)、建暦2年(1212年)に13歳で元服。三品(さんぼん)の位を与えられました(三品親王)。
14歳となった建暦3年(1213年)に結婚し、承久元年(1219年)には男児を授かっています(後の澄覚法親王、母親は藤原親経女)。
この年に実朝が暗殺されると、雅成親王を次期鎌倉殿に迎えるべく鎌倉より下向要請が来ました。