【承久の乱】あの名演説は政子じゃなかった?『承久軍物語』が伝える別バージョンがこちら【鎌倉殿の13人】 (5/6ページ)
彼両人是ヲ見テ、サラバ渡セトテ、武田ハ河合を渡シ、小笠原ハ大井戸ヲ渡シケリ……
※慈光寺本『承久記』巻下より
小笠原「どうする、武田殿?」
武田「決まっておる。鎌倉が勝てば鎌倉に味方し、官軍が勝てば官軍に味方する。それが弓箭(弓矢)とる武士の常識であろうが」
やっぱりね。と言ったところでしょうが、そんな利に敏(さと)い東国武者を手懐けるため、北条時房(演:瀬戸康史)が手を打ちます。
時房(書状にて)「ご両名へ。此度の戦さで武功を立てられましたら、美濃・尾張・甲斐・信濃・常陸・下野の六ヶ国を恩賞として約束しましょう!」
武田・小笠原「「よっしゃ、やるぞ!」」
実にちゃっかりと奮起した両将はたちまち敵を突破、大いに武勲を立てたということです。
終わりにとまぁこんな具合に御家人たちの活躍をもって見事に勝利を収めた承久の乱。どんな名演説よりも利益で釣るのが一番効果的、という身もふたもない話でした(それだけではありませんが)。