ユダヤ人を救った淡路島出身の旧陸軍中将・樋口季一郎とは? (1/2ページ)
第二次世界大戦の際に、ユダヤ人を救った日本人というと、真っ先に思い浮かぶのが杉原千畝(すぎはらちうね)ではないでしょうか。
「東洋のシンドラー」としても知られる杉原千畝ですが、実は彼の2年ほど前にユダヤ人難民の救出にあたった人物がいました。その人物が、今回の記事でご紹介する、淡路島出身の旧陸軍中将・樋口季一郎(ひぐちきいちろう)です。
杉原千畝ほどの知名度ではないかもしれませんが、樋口季一郎は実は非常に大きな功績を残した人物でもありました。
樋口季一郎の生い立ち樋口季一郎は、1888年に淡路島で生まれました。1909年に陸軍士官学校に進む一方、東京外語学校でロシア語を学びます。その後陸軍大学校を卒業し、すぐにウラジオストクで勤務します。その後も満州やロシア、ポーランドなどさまざまな重要拠点で働きました。
特に、ポーランドの駐在武官は当時、対ロシア研究の非常に重要なポストであり、陸軍のなかでもロシア通で知られていた樋口が任命されました。
オトポール事件とは?1937年8月、樋口季一郎は関東軍司令部付のハルビン特務機関長となります。12月には、ハルビンで第1回極東ユダヤ人大会が開かれます。その際、ドイツの反ユダヤ政策を批判し、ユダヤ人を擁護する演説を行いました。
ユダヤ人たちからは大きな歓声が鳴り響きましたが、彼の演説は国内外で大きな波紋を呼びます。ドイツ外務省の怒りを買い、関東軍司令部からも批判を受けました。
1938年3月8日には、迫害を逃れてソ連を通過し、ソ連と満州の国境であるオトポールでユダヤ人難民が立ち往生するという状況が起きました。