死に対するアプローチや死そのものへの理解が異なるヒトとその他の生物 (1/3ページ)

心に残る家族葬

死に対するアプローチや死そのものへの理解が異なるヒトとその他の生物

幼稚園年長の時、自分自身が死ぬ夢を2回見た。そのうち一つの内容をいまだに細かく記憶している。当時住んでいた家の灯油ストーブが倒れてきて下敷きになって死んだのだ。そしてそのあと夢の中で霊魂となった私は自分の葬式を上から眺めていた。親が泣きながら悲しんでいるのが見えた。その夢のことは子供の頃何度か思い出しては、恐ろしくなったり泣きたくなったりしたものだ。このように死の概念というのは、個人差もあるだろうが幼稚園生くらいから芽生えるものであろう。では、動物たちは、さらには人間の祖先たちは、どうなのだろうか。

■死なない単細胞生物から必ず死ぬ多細胞生物に進化した

そもそも、太古の昔、「死」は存在しなかった。地球上で生命が生まれたのはおよそ38億年前だが、その当時いたのはオスでもメスでもない「単細胞生物」だった。単細胞生物は、自らをコピーして増えていくため、エサがあれば永久に命を繋げていくことが出来る。

しかし地球環境の変化により栄養分を補えない危機に陥った単細胞生物たちはDNAをコピーすることをやめ、単細胞生物同士で合体するという、大変な革命的方法を試みた。そしてその後、さらに繋がりを広げ、多細胞生物が生まれていった。私たちの先祖は環境に適応した進化を選ぶ代わりに、必ず死ぬという宿命を背負ったのだ。(DNAが増えた事で種の絶滅に繋がる傷の蓄積のリスクが起こり、それを防ぐため寿命がプログラム化された)

それはさておき、生命は有性生殖により子孫を増やすようになっていった。そこには必然的に他者との関係性が生まれてくる。オスはメスを認識し、メスはオスを認識するからだ。では、動物たちは自分以外の他者の死というものについて、どのように感じているのだろうか。

■人と遺伝子情報が近しいチンパンジーの死に対する反応

チンパンジーは人間と遺伝情報が98.8%同一である。結論から言うと、そのチンパンジーにおいても、死とはただ消え去るのみだとされている。チンパンジーの仲間の死に対しての観察報告は多数あり、それらをざっと分類すると以下の通りである。

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