分子生物学者・村上和雄が説いたサムシング・グレートと現代的宗教 (2/3ページ)

心に残る家族葬

そもそも物質の事象に何らかの知性・意思を介在させる目的論的な概念は自然科学ではタブーである。事実、村上は本分の科学論文ではサムシング・グレートについて言及していないそうである(藤井、2014)。 つまり村上自身サムシング・グレートを科学的とは考えていなかったようだ。しかし筑波大学で教鞭を取っていた遺伝子の専門家が放つ言葉は、一般には説得力がありすぎたようで教育現場などでも影響を及ぼしている。科学至上主義の行き過ぎには懸念を抱くべきである。しかし科学でないものを科学として扱う疑似科学の問題は全く別である。「サムシング・グレート」の概念は、むしろ科学では割り切れない領域で語られるべきではないか。

■宗教的意義

「サムシング・グレート」は自然科学というより、現代社会の宗教観として考えることで意味が生まれる。〜神や〜仏といった特定の神仏や宗教観に縛られない超越的存在の想定は、既存の宗教を包括する存在ともいえる。宗教哲学者・ジョン・ヒック(1922〜2012)は、神は多くの名を持つとする宗教多元主義を唱えた。世界中の様々な宗教的真理は、「究極的なリアリティ」を、風土、人種、文化などのフィルターを通して、それぞれ異なる形で表現され理解しているという説である。つまりあらゆる宗教は突き詰めれば同じということである。「サムシング・グレート」は、天理教の信者でもあった村上が、遺伝子工学というフィルターを通して認識した究極的リアリティであり、ヒックの言う究極的リアリティそのものに近い。

近現代社会は科学的世界観が基本ルールである。生命分野ならダーウィン進化論だろう。生物は自然淘汰と突然変異によって進化し、生存競争に勝ち抜いたものが生き残る。つまり「弱肉強食」が自然の法則である。最近イェール大学助教・成田悠輔氏が「高齢者は集団自決するべき」との趣旨の発言をして波紋を広げている。その真意はともかく言葉だけを捉えれば「弱肉強食」であり、進化論的には自然の法則=物理法則に沿った正論ということになる。

しかし生命に大きな意思が介在しているとすればそこには何らかの意味があるかもしれず、勝手に死ぬことは許されない。

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