お笑い芸人・街裏ぴんくが突き詰めた“ウソ漫談”「誰もやってないことに魅力を感じる。今後もワクワクするような芸人人生を送りたい」 (1/2ページ)
子どもの頃から人を笑わせることが好きで、19歳のとき、高校の同級生に誘われて漫才コンビ『裏ブラウン』を結成し、お笑いの世界に入りました。大阪を拠点に活動していた頃も、たとえば、「キティちゃんの人形をお互いに持ってて、それを修理してくれる和尚さんがいるから会いに行こう」みたいな、ファンタジーをベースにしたネタをよくしてましたね。
でも、僕も相方もなかなかの悪人顔。ライブでは全然ウケなくて、アンケートには「怖い!」としか書かれなかったんですよ(笑)。
結局、2007年に結成3年でコンビを解散して、ピン芸人『街裏ぴんく』として活動を始めました。今年で17年目、今でこそ、自分が体験したという設定でファンタジーな話を展開する“ウソ漫談”を売りにしてますけど、当初はボヤキ漫談が中心でした。身の回りで起きたことに対してボヤいて、「どうなってんねん!」って怒ったりしてました。
12年に上京して浅草で修業を続けてたんですけど、14年にふと思ったんです。「そろそろ『R‐1ぐらんぷり』は大事やぞ」って。決勝まで行けば、テレビの地上波でたくさんの人に僕の漫談を見てもらえるわけですからね。
そのために、毎月20本の新ネタを下ろすライブを、真剣にやるようになったんですけど、ボヤキ漫談は2か月くらいでストックが尽きてしまって……。それに対して、漫才時代のファンタジーなネタはどんどん思いつくんですよ(笑)。だから“ウソ漫談”も加えて、何とか20本にして。それを10か月続けたので、合計で200本のネタを作りました。
そんな中、女性お笑いコンビの『Aマッソ』が観に来てくれて、僕のネタをおもろいと思ってくれたのか、15年に、「バスク」というお笑いライブに出演させてくれたんです。毎回チケットが即完売、お笑い通で埋め尽くされるライブで、舞台に立ったときは「誰だ、この大男は?」という状態でしたね(笑)。