桑野信義「リンパ節への転移も…正直、もう終わったと思ったね」麻美ゆまのあなたに会いたい!(前編)

日刊大衆

桑野信(左)と麻美ゆま
桑野信(左)と麻美ゆま

 今回の“あなたに会いたい”は、トランペット奏者でコメディアンでもある、桑野信義さんです! 2017年に一度、このコーナーに出演していただいているんですが、それから6年間、いろいろとありました。お笑いの師匠である志村けんさんが亡くなられただけでなく、桑野さん自身も大腸がんと宣告されて、21年2月に手術。その後、つらい闘病生活を送られていました。私も10年前、卵巣に境界悪性腫瘍が見つかり、手術をした経験があります。今回は、お互いに闘病生活を振り返って、「がんと闘病」のお話をしました。

ゆま「昨年に出版された桑野さんの著書『がんばろうとしない生き方 大腸がんになって見つけた笑顔でいる秘訣』(KADOKAWA)を読ませていただきました。本のタイトルにある“がんばろうとしない生き方”が印象的で、今、闘病生活されている方にこそ、ぜひ読んでもらいたいと思いました」

桑野「ありがとうございます。まあ、俺なんかよりも、ゆまちゃんのほうが“がんサバイバー”の大先輩ですけどね!」

ゆま「いやいや、そんな(笑)」

桑野「俺も今日は、いろいろと聞きたいことがあってね。まず、がん宣告を受けたとき、どう思った?」

ゆま「私は仕事のことでしたね。当時、『恵比寿マスカッツ』の解散ライブを控えていたので、みんなに迷惑かけちゃうって……」

桑野「やっぱり仕事だよな。俺も真っ先に考えたのは、仕事と家族のことだったよ。しかも、仕事に関しては、コロナ禍で延期になっていた『シャネルズ』結成40周年ライブツアーを控えていたからね。本当にショックだったよ」

ゆま「そうですよね。大腸がんだと分かるまで、前兆はありました?」

桑野「知っての通り、俺は昔から大酒飲みだろ?」

ゆま「はい(笑)」

桑野「“飲んだくれ”って、常に下痢をしているんだよ。だから、血便なんかも、しょっちゅうあった。血便が出ていることは分かっていたけど、“いつものこと”と軽く見ていたんだよね」

ゆま「分かります。なんとなく嫌な予感はしても、大したことないって思い込もうとしちゃいますよね」

桑野「病院も嫌いでね。それに、診察されて何か悪い病気だったら、どうしようという恐怖もあったから、二の足を踏んでいたんだよ。実際、俺なんて、64歳で初めて内視鏡検査を受けたぐらいだからね」

ゆま「え? そんなに何もしていなかったんですか」

桑野「そう。もっと早く行っておけばよかったと、すごく後悔しているよ」

ゆま「ステージ3b(リンパ節に多数転移するなど、ステージ3の中でも深刻な状況)の大腸がん、だったんですよね?」

桑野「大腸がんの中でも厄介な直腸がんでね。すでにリンパ節にも転移が見られたから……正直、もう終わったと思ったね」

■医者のあるひと言で抗がん剤をやめた…

ゆま「本には、入院中、桑野さんが書かれていたメモも掲載されていました」

桑野「何時にどんな薬を飲んだとか、そういう内容だけどね。自分が生きている証しみたいなものを残しておきたかったんだろうね」

ゆま「私も入院中は毎日、何かを書いていました。本には抗がん剤治療のつらさも、書いていらっしゃいましたが、私も副作用がきつかったんですよね」

桑野「俺の場合、初日から手足にしびれが出てね。冷たいものを飲んだら、体も凍え死にそうな感覚になってね。そのうち、爪の色が変わって、髪の毛も抜けて……。ゆまちゃんは、どんな感じだったの?」

ゆま「私は吐き気がひどかったです。あと、一番つらかったのは倦怠感。何もする気がおきなくなっちゃったんです」

桑野「分かるよ。俺も吐き気はひどかったよ」

ゆま「桑野さんは全部で4回、抗がん剤治療を受けられたんですよね」

桑野「そう。本当は8回なんだけど、『シャネルズ』の40周年ライブが控えていたからね。間に合わせるため、抗がん剤治療を4回までやって、がん細胞が小さくなったら、手術。そこから1か月リハビリをして、なんとかライブに参加しようと考えていたんだ」

ゆま「やっぱり目標があると、頑張れるものですね」

桑野「本当にそうだと思う。あのとき、目標があったのはありがたかった。ところが、ツアー初日の公演には間に合わなかった」

ゆま「それで、抗がん剤治療を再開されたんですね」

桑野「そう。でも、抗がん剤治療を再開すれば、しばらくの間、ライブに出ることは無理。副作用で吐き気と下痢がひどいし、精神的にもきつくなってね。だから結局、抗がん剤治療はやめた」

ゆま「やめても、大丈夫なんですか?」

桑野「まあ、手術でがん細胞は切除できて、転移も見られなかったからね。もちろん、抗がん剤治療を途中でやめると、再発のリスクは高まるよ。でも、先生に“抗がん剤を続けても、再発するかもしれない。逆に、やめたからって再発するとも言えない”って言われてね」

ゆま「結局、最後は自分で決めるしかないんですね」

桑野「そう。だから、俺は、やめることにしたんだ。本当にしんどかったからね。そう考えたのも、闘病生活を通じて、“頑張ろうとしない生き方”を学んだからなんだ」

ゆま「頑張ろうとしない生き方――そう考えるようになられた経緯を、詳しく教えてもらいたいです」(次号につづく)

くわの・のぶよし1957年4月4日、東京都生まれ。クワマンの愛称で親しまれる。1975年に、鈴木雅之らと『シャネルズ』を結成。その後、バラエティタレントとしても活躍し、『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)では、二代目家老役を務めた。
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