「どうする家康」秀頼公、いまだ着陣せず!関ケ原の戦いにおける三成・吉継ら、西軍首脳部の誤算【中編】 (1/4ページ)

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「どうする家康」秀頼公、いまだ着陣せず!関ケ原の戦いにおける三成・吉継ら、西軍首脳部の誤算【中編】

1600年に起きた、関ケ原の戦い。この戦いで、徳川家康は西軍の石田三成らを破り、その3年後の1603年には、江戸幕府を開府、徳川氏による政権を樹立しました。

天下分け目の戦いと称され、260年も続く江戸幕府開府の決定打となったにもかかわらず、関ケ原の戦いには数々の謎が隠されています。

そんな謎多き合戦史に一石を投じたのが、城郭考古学者で奈良大学文学部教授の千田嘉博氏が2020年に唱えた新説でした。第2回となる【中編】では、千田氏が航空レーザ測量で再発見した山城・玉城と、三成ら西軍が立てた関ケ原における必勝の布陣についてお話しします。

前編の記事はこちら

「どうする家康」秀頼公、いまだ着陣せず!関ケ原の戦いにおける三成・吉継ら、西軍首脳部の誤算【前編】

千田嘉博氏による巨大陣城・玉城の再発見

2020年12月4日、NHK BS放送で従来の関ケ原の合戦史に大きな一石を投じる番組、NHK BSプレミアム『決戦!関ケ原』が放映され、大きな反響を呼びました。ここで、語られたのは、城郭考古学者で奈良大学文学部教授の千田嘉博氏が行った航空レーザ測量による、関ケ原古戦場の調査結果でした。

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