人間、謙虚さが一番。しかし…武士道バイブル『葉隠』が伝える大高慢のススメとは (1/3ページ)

Japaaan

人間、謙虚さが一番。しかし…武士道バイブル『葉隠』が伝える大高慢のススメとは

知識や才能があってもおごり高ぶらず、慎ましくへりくだる謙虚さは、多くの日本人が美徳として高く評価しています。

何事も、高慢であるより謙虚であった方がいい。皆さんもそう思われるのではないでしょうか。

しかし謙虚さもTPO(時と場所と状況)が大切で、往時の武士たちはあえて高慢であることが勧められました。

一体どういうことなのか、今回は江戸時代に書かれた武士道のバイブル『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、こんなエピソードを紹介したいと思います。

江南和尚かく語りき

江南和尚を囲んで学問話に興じる石田一鼎ら(イメージ)

四七 宗龍寺江南和尚に、美作守殿・一鼎など学文仲間面談にて学文咄を仕懸け申され候へば、「各は物識りにて結構の事に候。然れども道にうとき事は平人には劣るなり。」と申され候に付、「聖賢の道より外に道はあるまじ。」と一鼎申され候。江南申され候は、「物識りの道に疎き事は、東に行く筈の者が西へ行くがごとくにて候。物を知るほど道には遠ざかり候。その仔細は、古の聖賢の言行を書物にて見覚え、見解高くなり、はや我が身も聖賢の様に思ひて、平人は蟲の様に見なすなり。これ道に疎き所にて候。道と云ふは、我が非を知る事なり。念々に非を知つて一生打ち置かざるを道と云ふなり。聖の字をヒジリと訓むは、非を知り給ふ故にて候。佛は知非便捨の四字を以て我が道を成就すると説き給ふなり。心に心を付けて見れば、一日の間に悪心の起ること数限りなく候。我はよしと思ふ事はならぬ筈なり。」と申され候に付、座中それより崇敬いたされ候由。

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