武田勝頼の息子は死んでなかった!武田滅亡後も103歳まで生き延びた武田勝親【どうする家康 外伝】 (1/3ページ)

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武田勝頼の息子は死んでなかった!武田滅亡後も103歳まで生き延びた武田勝親【どうする家康 外伝】

時は天正10年(1582年)3月11日、甲斐国天目山(山梨県甲州市)で武田勝頼(演:真栄田郷敦)と嫡男・武田信勝(のぶかつ)が自刃して果てました。

信勝

母 信長之女 竹王丸 太郎
永禄十年十一ノ一生
天正十年三ノ十一扎天目山自刃 十六
凌雲院甲厳勝信

※『系図纂要 清和源氏 十六』

世に言う天目山の戦いで滅亡してしまった武田家。平安時代から数百年にわたり君臨してきた甲斐源氏の名門が、あえなく灰燼に帰してしまいます。

月岡芳年「勝頼於天目山遂討死図」

そんな中、勝頼の妻子はことごとく死に絶えてしまったかと思っていたら、窮地を脱して天寿をまっとうした者もいたようです。

今回はそんな一人・武田勝親(たけだ かつちか)を紹介。果たしてどんな生涯を送ったのでしょうか。

3歳で故郷を追われ、出家する

勝親 一ニ勝近
武田左衛門
壬午三月栗原■抱走鎌倉又迁住摂津尼崎藤田村為一向僧善悦
天和二年六ノ十九寂莫
※『系図纂要 清和源氏 十六』

武田勝親は天正8年(1580年)、勝頼の次男として誕生しました。

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