徳川家を出奔した石川数正(松重豊)、秀吉に仕えてその後どうなった?【どうする家康】 (1/5ページ)

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徳川家を出奔した石川数正(松重豊)、秀吉に仕えてその後どうなった?【どうする家康】

「関白殿下是天下人也(関白殿下、これ天下人なり≒だから秀吉に臣従せよ)」

NHK大河ドラマ「どうする家康」では、そう書き残して徳川家康(松本潤)の元から出奔、豊臣秀吉(ムロツヨシ)に寝返ってしまった石川数正(松重豊)。

その後、彼はどうなったのでしょうか。今回は『寛政重脩諸家譜』より、石川数正の晩年を紹介したいと思います。

秀吉との和睦・臣従を進言

石川伯耆守康昌(数正)。「長篠合戦図屏風」より

……数正すゝみ出ていはく、秀吉天下の半を領して諸将おほく其下風にたつ。今御麾下の士彼に比すれば其なかばにもたらず、かつ北に上杉あり、東に北條あり、三方の敵を受ばたとひ一旦利を得るとも永く敵しがたし。其望にまかせ早く和議を許容したまひて、万歳の謀をなしたまふべしとなり。東照宮御気色よからず、我寡兵なりといへども何ぞ大兵を畏れむやとて、其使者に御答なかりしかば、其のちしばゝゞ使者をもつて和をこふにより、遂に御許容ありて越前中納言秀康卿大坂に至らせたまふ。数正したがひたてまつり、男康長等を彼地にとゞめて仕へしむ。

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