夫婦でありながらなぜ…江戸時代の恋物語『心中宵庚申』が描く切なさと義理人情

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夫婦でありながらなぜ…江戸時代の恋物語『心中宵庚申』が描く切なさと義理人情

江戸時代に流行したものの一つに、「心中」があります。現代であれば、もう少し違った道を選ぶこともできただろうと考えると、どうしてもやりきれない思いがありますが、江戸時代はさまざまな理由から心中を選ぶ男女が多くいました。

今回は、近松門左衛門の最後の世話物とされる、『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』という作品をご紹介します。

心中というと、結ばれない男女が来世での幸せを願って……というものが多いのですが、この作品は少し違います。物語の中心となる男女は、すでに結婚しているのです。

なぜ、心中に至ったのでしょうか?

武家出身で八百屋の養子になった男と、夫に恵まれなかった妻

この作品は、実際に享保7年(1722年)に起きた心中事件をもとにした作品です。物語の中心となる男性は、元々は武士の息子でありながら、大坂・新靫(しんうつぼ)の八百屋の養子になった半兵衛。女性は半兵衛の妻であるお千世(現在の文楽では「お千代」という表記)です。

半兵衛は、お千世にとっては3人目の夫でした。1人目には夫の破産によって生き別れ、2人目は死別でした。今度こそ添い遂げたいと思っていた彼女。二人の仲はよく、相思相愛でした。

姑の壁が立ちはだかる

他の心中ものでは、夫が遊女を好きになってしまい……というパターンが多いのですが、『心中宵庚申』の夫婦は愛し合っています。そんな二人の障壁となったのが、半兵衛の義母であり、お千世にとっては姑にあたる女性でした。

姑はお千世をよく思っておらず、半兵衛が法要で故郷の浜松に行っているあいだに「実家に帰れ!」と離縁を言い渡します。なお、このときお千世は懐妊中でした。

嘆くお千世家族と、そこに現れた半兵衛

お千世の実家(山城国)では、姉夫婦が老父と暮らしていました。老父は離縁されたお千世の身の上を嘆きます。そこへ、何も知らない半兵衛が浜松からの帰りに立ち寄ります。

事情を知った半兵衛は、お千世の家族に、彼女を命を懸けて守ることを近い、に二人で帰ります。

責められる半兵衛、そしてついに二人は……

大坂に帰った二人ですが、義母は半兵衛を親不孝者と責めたてます。半兵衛は武家の出身。義母が嫁を離縁したとなれば家の不名誉にもなりますし、義母への恩もあったのでしょう。

半兵衛は自分から改めて離縁を切り出し、家を出て二人で心中をしました。

近松門左衛門が投げかけるもの

この作品は、夫婦の心中という珍しさだけがポイントではないと言われています。近松門左衛門自身も元は武家の出身。この策人には、武家が持つ家族の有りようや、社会制度や義理に縛られる生きづらさなどが強く描かれています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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