無礼にも程がある!北条氏政・氏直父子と対面した神の君・徳川家康は…【どうする家康】 (5/5ページ)

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氏政の酔態に、さすがの家康も困惑(イメージ)

客人の前で主人が酔っ払うなど、あるまじき失態と言えるでしょう。さすがの家康も少々困惑していると、氏政は家康の差していた指添(さしぞえ。脇指)を抜き取ります。

「危のうござる」

「やったぞ!海道一の弓取りと恐れられた徳川殿から、刀を奪いとる大手柄じゃ!わははぁ~」

刀は武士にとって最後の守りであり、また誇りでもあり、軽々に他人が触ってよいものではありません。

いくら何でも無礼が過ぎる……さすがに怒りを隠せない徳川家臣たちに、これまた酔っ払った松田憲秀が笑って言います。

「よいではござらぬか。そなたらはもはや北条の家臣なれば、主君の戯れに怒るなど無礼であるぞ」

「……」

やがて宴も御開きとなり、この日のもてなしは「実に善美をつくした」ものだったそうです。

終わりに

「……もう、北条は先がないな」

その後、家康は駿府に帰ると本多正信に愚痴りました。

「ま、そうでしょうな」

あえて格下に見せることで、相手の本性を見抜いた神の君。上から下まで醜態をさらしていた北条家は、果たして天正18年(1590年)に攻め滅ぼされることになります。

(※娘のおふうは北条の滅亡後、氏直と離縁して徳川家臣の池田輝政と再婚)

相手が下手に出ている時ほど、自分の器量を見定められている。そんな教訓を感じるエピソードでした。

※参考文献:

『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション

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