「関ヶ原の合戦」で徳川軍の武将が着けている「伍」の旗指物&陣羽織は何の意味?【どうする家康】 (1/4ページ)

Japaaan

「関ヶ原の合戦」で徳川軍の武将が着けている「伍」の旗指物&陣羽織は何の意味?【どうする家康】

時は慶長5年(1600年)9月15日。徳川家康が率いる東軍と、石田三成の率いる西軍が美濃国関ヶ原(岐阜県関ケ原町)の地で激突しました。後世に伝わる関ヶ原の合戦です。

両軍合わせて十数万とも言われる大軍勢がぶつかり合った様子はまさに天下分け目の大勝負。その壮大なスケールが絵師たちによって描かれました。

「関ヶ原合戦図屏風」を見ていると……黄色い丸部分に注目。

そんな「関ヶ原合戦図屏風」を眺めていると、主に絵の右側(徳川軍)で「伍」と書かれた旗指物を背負っている武将をチラホラ見かけます。よく見ると、陣羽織の背にも「伍」が書かれているようです。

「伍」の旗指物と赤い陣羽織が目印。彼らは一体何者?「関ヶ原合戦図屏風」より

いったい彼らは何者なのでしょうか。

「「関ヶ原の合戦」で徳川軍の武将が着けている「伍」の旗指物&陣羽織は何の意味?【どうする家康】」のページです。デイリーニュースオンラインは、使番どうする家康江戸幕府関ヶ原の戦い徳川家康カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る