「どうする家康」今までずっと、ありがとう!そして新天地へ…第37回放送「さらば三河家臣団」振り返り (9/11ページ)

Japaaan

実際の家康だって住み慣れた駿府を離れ、岡崎や浜松を明け渡すのは嫌だったでしょう。しかしいざ江戸の大地(というより関東平野)を目にしたら、どこまでも広がる可能性に心躍ったことと思います。

まさにフロンティア(開拓最前線)。確かに資金や労力はかかるから、当分秀吉に逆らうための力は削がれるでしょうが、それを補って余りある恩恵を確信したはずです。

「やってやるぞ!」

もしかしたら、秀吉は意地悪で江戸を指定したのかも知れません。それならそれで、いつか必ず豊臣を倒すための力をここで蓄えて見せる。そういう高揚感を、演じて欲しかったと思います。

さっそく始まった江戸のまちづくり。ここで活躍していた伊奈忠次(なだぎ武)は、これまで二度も徳川家から離反した過去がありました。

一回目は三河一向一揆(第8~9回放送時点)で、二回目は築山殿事件(第25回放送時点)で出奔しています。

舞い戻ったタイミングはそれぞれ長篠合戦(第22回放送時点)と神君伊賀越え(第29回放送時点)、出たり入ったり実に忙しい人生です。

ちなみに父の伊奈忠家は織田信雄(浜野謙太)に仕えるよう命じられ、三度も徳川家を離れました。後に今回、国替えを拒否したことで改易されたため、徳川家を舞い戻って忠次の世話になっています。

また余談ながら、忠次の姉に“たね(豊嶋花)”がいました。覚えていますか?彼女(仁木助左衛門妻)は瀬名の死に殉じて入水自殺を遂げています(劇中では描写なし)。

話を戻して、これから江戸のまちづくりが面白くなってくるところですが……残念ながらそんなことに尺をとる余裕はなさそうです。

まちづくりやルール整備(それに伴う利害関係の調整など)といった政治的な面白さを、分かりやすく若い世代に伝える描写も時代劇の醍醐味だと思うのですが、それは今後に期待しましょう。

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