日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【前編】 (1/4ページ)

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日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【前編】

生まれは「五摂家筆頭」の近衛家

戦前に活躍(?)した近衛文麿家柄よし、見た目よし、頭もよしと三拍子揃った人物で、首相には二度指名され内閣を三度組閣しています。「大物政治家」と言って差し支えないでしょう。

しかし彼は、日本が泥沼の戦争に足を踏み入れたそもそものきっかけを作った、日本憲政史上突出した「負の大物」でもあります。今回はその人物像について探ってみましょう。

彼が生まれたのは1891(明治24)年。五摂家筆頭の近衛家の長男として生を受け、父親は貴族院議長も務めた公爵・近衛篤麿でした。

五摂家というのは代々関白に任ぜられる家柄のことで、近衛家はその中でも最も位が高いものでした。

青年期の文麿は京都帝国大学に在学。大学時代にはマルクス主義者となる直前だった河上肇から薫陶を受け、哲学者の西田幾多郎にも関心を寄せて若干の関わりを持つなど勉学に励む秀才だったといいます。

若き日の近衛文麿(Wikipediaより)

学生時代の彼のユニークなエピソードに、後に妻となる千代子に一目惚れして学生結婚したというのがあります。

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