「そなたは、江戸」豊臣秀吉に関東移封を命じられた神の君・徳川家康、実際の反応は?【どうする家康】 (3/5ページ)
ここは一つ、わしを助けると思って……」
いや、それなら関東八州を皆様で分配なされては……いやいや、それではわしが二言したことになってしまう。ここは何としても引き換えということで……とまぁ何やかんやと押し切られてしまいました。
「すまん、徳川殿!まこと恩に着る!」
かくして家康はこれまでの戦で切り取ってきた三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五ヶ国を奪われ、代わりに関東八州を与えられたのです。
しかも関東八州と言えば聞こえはよいものの、実際には各地に敵対勢力が根を張っており、実質的には相模・武蔵・下総・上総の四か国程度しかありませんでした。
これでは体よく一国を削られてしまった形です。しかし、今になって文句を言っても始まりません。まったく巧いことハメられてしまいましたね。
家康を関東に封じ込めろ!東海道封鎖作戦……かの駿遠三甲信の五ヶ国は。年頃人民心服せし御領なれば。是を秀吉の手に入。甲州は尤要地なれば加藤遠江守光泰を置。後に浅野弾正少弼長政を置。東海道要枢の清洲に秀次。吉田に池田。浜松に堀尾。岡崎に田中。掛川に山内。駿府に中村を置。是等は皆秀吉腹心の者共を要地にすえ置て。関八州の咽喉を押へて。少しも身を動し手を出さしめじと謀りしのみならず。