「そなたは、江戸」豊臣秀吉に関東移封を命じられた神の君・徳川家康、実際の反応は?【どうする家康】 (1/5ページ)

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「そなたは、江戸」豊臣秀吉に関東移封を命じられた神の君・徳川家康、実際の反応は?【どうする家康】

時は天正18年(1590年)7月、関東に覇を唱える小田原北条氏(北条氏政・氏直父子)を滅ぼし、天下一統をなしとげた豊臣秀吉。

この関東に、かねて目の上のたんこぶであった徳川家康を追いやろうと画策、ただちに江戸行きを命じたのでした。

この無茶ぶりに、我らが神の君はどのような反応を示したのでしょうか。江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』を読んでみたいと思います。

関東八州、すべて徳川殿に授けよう!上機嫌な秀吉に嫌な予感

歌川豊宣「新撰太閤記」より、小田原征伐に臨む秀吉(中央)と家康(右)

……さて関白ハ諸将の軍功を論じ勤賞行ハる。 駿河亜相軍謀密策。今度関東平均の大勲此右に出るものなければとて。北条が領せし八州の国々悉く 君の御領に定めらる。……

※『東照宮御実紀』巻四 天正十八年「秀吉封家康于関東」

小田原征伐の後、秀吉は諸将を集めて論功行賞を行いました。

「いやぁ、駿河亜相(家康。亜相は大納言の意)殿の軍謀密策は大したものだ!こたびの戦で関東を平らげた勲功は、右に出る者がおらぬわい!」

とまぁいつもの調子で誉め言葉の大盤振舞い。こういう時は、決まって何かたくらんでいるのが秀吉という男です。

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