養子に出され、勘当され……徳川家康の六男・松平忠輝(まつだいらただてる)とは? (1/2ページ)

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養子に出され、勘当され……徳川家康の六男・松平忠輝(まつだいらただてる)とは?

現在放送中の2023年大河ドラマ『どうする家康』。ドラマの主人公である徳川家康は、合計16人(11人の息子・5人の娘)の子どもをもうけたことで知られています。しかし、それだけ人数がいると、なかなか知られていない人物もいますよね。

そこで、今回の記事では、徳川家康の六男である松平忠輝(まつだいらただてる)という人物にフォーカスをあててみたいと思います。あまり有名ではない彼ですが、意外にもインパクト大の人物でした。

松平忠輝像(複製、上越市立歴史博物館蔵)Wikipediaより

家康の六男として、側室との間に生まれる

松平忠輝は、文禄元年(1592年)、徳川家康が51歳のときに、側室・茶阿局(ちゃあのつぼね)との間に生まれました。家康の六男として生まれた彼ですが、父である家康からは嫌われていたと言われています。

その理由にはさまざまなものがあります。例えば、生母(茶阿局)の身分が低かったことや、当時は忌み嫌われていた双子で生まれたこと、見た目が少し変わっていたこと、などがあります。いずれも、現代の感覚からすると驚くものばかりですよね。

養子に出される

松平忠輝は、下野国(現在の栃木県)の皆川城の皆川広照に養育されます。

父からは嫌われた彼ですが、幼いころから楽器も得意で、運動神経も良かったと言われています。また、武術や兵法も会得しています。

家康から勘当される

慶長11年(1606年)には、忠輝は、伊達政宗の長女・五郎八姫(いろはひめ)と結婚。しかし、慶長20年(1615年)には、父・家康から勘当されてしまいます。

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