「錦の御旗」は戦況に関係なかった?鳥羽・伏見の戦いで「錦の御旗」がもたらした本当の影響とは?【前編】 (1/3ページ)

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「錦の御旗」は戦況に関係なかった?鳥羽・伏見の戦いで「錦の御旗」がもたらした本当の影響とは?【前編】

「錦の御旗」によって旧幕府軍は敗れた?

幕末期の鳥羽伏見の戦いで、軍の規模や兵器・装備面ではるかに劣っていた新政府軍。それが、なぜか旧幕府軍に勝つことができた大きな理由のひとつとしてよく挙げられるのが「錦の御旗説」です。

いわゆる錦の御旗を所有することは、すなわち天皇の軍隊・官軍であることを意味しています。つまりそれに歯向かえば朝敵・逆賊と見なされるわけです。

鳥羽伏見の戦いでは、大久保利通と岩倉具視が工作活動を行い、朝廷を新政府軍の味方につけました。これにより戦場では錦の御旗が掲げられ、本来なら優勢だったはずの旧幕府軍の士気を削いだといわれています。

戊辰戦争(1868)の際、官軍が用いた錦旗の精密な模写図

これが決定打となり、新政府軍は旧幕府軍を倒したというのが、上述の「錦の御旗説」です。

しかし、錦の御旗が戦闘に与えた影響は、さほど大きくなかったというのが現在の歴史の通説です。

戦況とは無関係

そもそも鳥羽伏見の戦いでは、錦の御旗が掲げられるよりも先に、旧幕府軍は追い詰められていました。その時点で既に大勢は決していたのです。

実際、錦の御旗が戦場に届いた時点で、旧幕府軍の敗北はほぼ確定していました。

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