トマトケチャップを創り出した日本人「蟹江一太郎」〜日本人の嗜好に進化したトマトケチャップの歴史 (1/2ページ)

Japaaan

トマトケチャップを創り出した日本人「蟹江一太郎」〜日本人の嗜好に進化したトマトケチャップの歴史

トマトは南米のアンデス高原が原産で、16世紀にヨーロッパに伝えられましたが、初めは観賞用の植物として広まりました。それが食用として栽培されるようになるのは、18世紀半ばごろだといわれています。

日本には江戸時代中期、ポルトガル人によってトマトがもたらされましたが、やはりそれも観賞用として、でした。

明治時代になると、アメリカやイギリスから、多くの品種が食用として輸入されるようになります。

1872(明治5)年頃の雑誌には、トマトの食べ方が紹介されてたりしましたが、なかなか独特な食べ方だったようです。真っ赤な見た目も相まって、実はこの頃、トマトはそんなに普及しなかったようです。

そんな中、明治時代にアメリカから帰国した大藤松五郎という人物が、帰国後東京でトマトの缶詰加工を試みました。ただ、当時作られたトマト缶はすぐに腐るという欠点があったため、トマトの加工は難しいと考えられるようになりました。

その結果、トマトそのものが日本の食卓に広まるのは、ようやく大正時代になってからのことです。

一方、トマトケチャップは、明治時代に、ある一人の日本人によって発明されました。

その日本人の名前は蟹江一太郎(かにえいちたろう)。1875(明治8)年、愛知県生まれ。1884(明治17)年に小学校を中退し、1895(明治28)年、陸軍に入隊。そこで上官から、これからは西洋野菜が必要になるだとうといわれ、兵役を務め終えた後、名古屋市勧業課吏員の指導で、さっそく様々な西洋野菜の栽培にとりかかりました。

そのうちの一つにトマトがありました。このとき、農事試験場の技師から、西洋では<トマトピューレ>という調味料が使われていると教えられ、蟹江はそれを作ろうと思いたちました。

「トマトケチャップを創り出した日本人「蟹江一太郎」〜日本人の嗜好に進化したトマトケチャップの歴史」のページです。デイリーニュースオンラインは、蟹江一太郎トマトケチャップ食文化カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る