菅原文太さん死去…貫いた昭和の「漢」の生き様

デイリーニュースオンライン

次期沖縄県知事・翁長雄志氏の公式Youtubeチャンネルより
次期沖縄県知事・翁長雄志氏の公式Youtubeチャンネルより

 また一つ昭和の灯火が消えた――。

 俳優・菅原文太さんが11月28日、転移性肝がんによる肝不全のため都内病院で死去していたことが12月1日、分かった。享年81。各報道によると、亡くなったのは28日の午前3時49分、入院中だった東京都内の病院だったという。終の棲家となった福岡県ではこの日、家族らによって葬儀・告別式が営まれたという。

 菅原さんは仙台に生まれ、東京と仙台で育った。早稲田大学第二法学部を中退後、旗揚げしたばかりの劇団四季に入団。モデルなどを経て新東宝『白線秘密地帯』で映画デビュー。その後は東映に入社し、『現代やくざ』シリーズ、『まむしの兄弟』シリーズで主演を務め、1973年に始まった『仁義なき戦い』『新・仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズが大ヒット。時代の寵児のひとりとなった。

 また近年では、東日本大震災を契機に「もう俳優はやらない」と潔く俳優業を引退し、2年前に政治家に提言をする政治支援グループ「いのちの党」を結成した。

沖縄知事選では『仁義なき戦い』の名台詞を披露

 さらに11月1日には沖縄で開催された県知事選挙「1万人うまんちゅ大集会」にて『仁義なき戦い』の名台詞になぞらえて「仲井真(知事)さん、弾はまだ一発残っとるがよ」とスピーチ、群集の喝采を浴びた。まさに「後がないんじゃ後が……」とばかりに、講演活動でも仁義なき国政へ原発事故、増税、憲法改正などに対する自分の意見をはっきりとぶつけてきた。

沖縄知事選では翁長候補の応援にかけつけ、あの名台詞を披露した

 一方で、2009年からは無農薬の有機農業に参入。持ち前の研究熱心さで、山梨県の自らが経営する約2.7ヘクタールの農園にてシイタケ、アスパラ、カブなど30種類もの作物を育てていた。政治活動、農業活動の根底にあったのは、日本の未来を担う子どもたちへの想い、すべての「命を大切にしたい」という信念だったという。

 役者としても、人間としても最期まで格好良い「漢」の姿を見せてくれた菅原さん。この仇、いや思いは、残された国民の力で取ってみせるしかないだろう。

(取材・文/チロル蝶子)

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