【歴史】身内も上司もみんな計画殺人! 暗殺しまくった武将の死因が意外! (3/4ページ)

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是をひたし取り、衣類を城下の川へ流し捨つるを、川下の額が瀬にて、乞食共度々拾ひけるに、二月中旬より、此穢れたる衣類流れざるより、直家はや死去ありしといふ事を、外にて推量して、皆之を沙汰しけるとぞ」(備前軍記より)

「尻はす」と呼ばれる腫物は、膿の混じった血が沢山出ることは分かりましたが、それ以上は不明です。近年書かれた読みモノでは「尻」というキーワードと出血から『大腸癌』では無いか?という説が多く見られます。

しかしながら、腫物という表現は主に「皮膚に出来た病変」を指す場合に使われます。大腸癌も腫瘤を形成するタイプがありますが体表から見ると目立ちません。また、「膿と出血を拭き取った衣類を川に流して捨てた」との表現からも「身体の表面にできた腫瘤から膿や血が大量に出た」と解釈することもできます。

この場合は「皮膚癌」の一種ではないかと推測。小説『宇喜多の捨て嫁』では、刀傷に出来た腫瘍が穢れた血膿を吹き出し、その様子が汚物を排泄する尻似ていることから「尻はす」と呼ばれると表現していますが、この解釈良いですね!

こうした経過から『癌』であった可能性は高いです。もう何癌なのか? は、そっとしておいて下さい、判断つきかねます。かくして謀略の限りを尽くした直家も病には勝てず、天正9年(1581年)の末頃に岡山城で病死、享年53歳でした。

・兄と会う時は鎖帷子 by宇喜多忠家
身内に容赦の無い直家は、実の弟にもビビられており、『兄と会う時は鎖帷子by宇喜多忠家』なんてエピソードも残っております。ただ、家臣を粛清したことはなく、どちらかと言うと慕われるお殿さまだったようで、病が重く気弱になった際、面白いエピソードが残されてます。

「俺が死んだら殉死してくれるかな?」と配下の連中に尋ねたところ、忠臣であるはずの戸川秀安に「坊さんなら天国に導いてくれるでしょうが、俺ら武士は殉死しても修羅道にしか導けませんからムリゲーです。殉死は坊さんに頼んで下さい」と諌められます。

そして、これで終わらず、「理が通ってるよね、ゴメン殉死しなくて良いよ(´・_・`)」と素直な返事を告げるというエピソードも残っていて、とても茶目っ気たっぷりな一面が見てとれるのです。

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