【大阪都構想否決】橋下市長を引退に追い込んだのは“くまモン”“ふなっしー”だった!?

デイリーニュースオンライン

橋下徹オフィシャルサイトより
橋下徹オフィシャルサイトより

 5月17日に開票された大阪市を廃止して5つの特別区を設置する、いわゆる“大阪都構想”の住民投票は反対多数という結果に終わった。それを受けて、橋下市長は残りの任期をまっとうした後に政界から引退することを宣言。

 国会議員やマスコミ関係者からは、橋下市長の政界引退を惜しむ声も聞かれるが、一方で「政治家として、橋下市長の役割は終わった」と冷めた見方をする地方自治体関係者も少なくない。

 橋下人気の絶頂期、政治家には発信力が必要とされていた。首都・東京を除けば、マスコミが取り上げる政治ネタといえば国政ネタであり、地方都市の問題がテレビでクローズアップされることは稀だった。それを如実に物語るのが、“大阪都構想”だ。ある地方自治体関係者は言う。

「大阪都構想は橋下市長オリジナルの政策と思われがちですが、それは違います。2000年頃、太田房江府知事(当時)・磯村隆文市長(当時)時代に大阪都構想は浮上しています。このときは、まったく話題にもならず、立ち消えになりました。全国的に見れば大阪都構想が過去に議論されたことを知る人は少なく、“大阪都”を認知させたのは、橋下市長の強力な発信力の賜物でしょう。そういう意味で、橋下市長の発信力はすごいなと思います」

東国原知事のおかげで宮崎県庁が観光地に

 政治家に発信力が求められるのは、ある意味で当たり前のことだが、特に重要視されるようになったのは東国原英夫宮崎県知事(当時)の就任前後だ。東国原知事が宮崎県知事選に出馬したときはタレント候補として“色物”扱いされたものの、当選してからは自身が持つ発信力を最大限に利用し、日向夏や地鶏などの特産品を全国にトップセールス展開して有名にした。特に地元では有名だった宮崎のマンゴーは全国に知られるほどのトップブランドに育て上げている。

「東国原知事が就任すると宮崎県庁が観光地になりましたが、あれには地方自治体関係者みんな目を疑ったと思います。宮崎県の経済効果も大変なものがあったでしょう。東国原ブームを目にして『知事や市長もタレントの方がいいのではないか?』という機運が職員にも有権者にも広がったのは事実です」(前出・地方自治体関係者)

 そうしたタレント知事・市長を待望する潮目を変えたのが、熊本県のPRキャラクター“くまモン”だった。“くまモン”は全国的に人気を博し、地場産品は爆発的に売れ、観光需要も増加した。“くまモン”が表舞台に立って熊本県のPRする一方で、蒲島郁夫熊本県知事は目立たず、粛々と県政に精を出していた。

 “くまモン”につづき、船橋市の“ふなっしー”(非公認)がブレイクし、その後も地方自治体のゆるキャラは各地で誕生している。

「それまでは経済効果が出ていたので、知事がバラエティ番組に出ていても県民や市民は容認していました。今は地元のゆるキャラが特産品や観光地をアピールしてくれるので、知事や市長には発信力が期待されていないのです。それよりも、きちんと実務をしてくれる知事や市長が支持されるようになっています。言うならば、“ふなっしー”や“くまモン”の活躍によって、知事・市長には発信力よりも、もっと別の能力が求められるようになったと言えます」(前出・地方自治体関係者)

 橋下市長の最大の武器は、何と言っても卓抜した発信力だった。それを凌駕する自治体ゆるキャラの出現は、橋下市長のカリスマ性を奪い、発信力を弱めた。それが大阪都構想の否決にもなり、橋下市長の政界引退へとつながったとしたら──。

「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話だが、ゆるキャラ旋風は芸能界にも吹き荒れ、芸能人を駆逐している。その波が政界に押し寄せてきていても不思議な話ではない。

(取材・文/小川裕夫)

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