ロマン優光のさよなら、くまさん
連載第76回 『1984年のUWF』を読んで これは書評でも何でもない。ただ、私の中の何かを語ってるだけだ。
「ああ、あの頃の俺と同じだ…。」
『1984年のUWF』を読みながら何度もそう思った。あの頃の…小学校高学年から中学生にかけての私にとって、第一次UWFという幻想がどれだけ大きいものだったか。読みながら、何度となく思い出した。第一次UWFこそ唯一無二の本物だと信じていた、あの頃を。
民放が2局しかないド田舎の子供だった私にとってプロレスというのは深夜に見るものだった。金曜日は一度早寝をして、23時半ぐらいに起きて一週遅れの放送でタイガーマスクと猪木の試合を見る。もちろん、新日本だ。父親がプロレス好きで現在でもサムライとかに加入しているような家だったので、普段では怒られるような夜更かしもプロレスに関しては甘かった。そもそも、私がプロレスを見出したのは父親に夜中に叩き起こされて見せられたのが最初なのだから。なぜか、その頃で一番記憶に残っているのはエル・ソリタリオなのだけど。
スタン・ハンセンが移籍をしてから全日本プロレスも見るようになったのだけど、ウェスタン・ラリアットでなぎ倒され痙攣する阿修羅原を見て「新日本にはこんな無様な負け方をする選手はいない。全日の選手は鍛えられてない。全日は弱い。」と本気で思い、かなり格下に見ていた。それでもハンセンが見たくて全日も見続けていたのだが、長年に渡りその意識は抜けなかった。
小学生の時は、子供向けのプロレス大百科の類や梶原先生の『プロレススーパースター列伝』、ブッチャーをはじめとするレスラーが書いたとされる本、菊池孝のようなプロレス記者の書いた本、手当たり次第に読み漁った。知らないレスラーの名前や特徴を覚えるのが楽しかった。その多くは実際に映像で見ることすらかなわなかったが、それゆえに膨らむ幻想がひたすら楽しかった。そういった中で村松友視のプロレス3部作に出会った。父が買っていたのだろう。今までの本とは違い、プロレスの見方、すなわち物の見方ということを始めて意識させられた本の一つだった。批評と言っていいのかもしれない。